海軍白百合航空隊戦記

白百合航空隊作戦記録簿


以下の歴史年表は、実際の歴史と白百合航空隊の作戦行動(ストーリー)を主人公の松山奈美穂を中心にして掲載しました。

なお、実際の史実は年月などを忠実に記述したつもりですが、誤った記述がありましたらご指摘ください。

すみません、時間が無かったものでまだ昭和19年の最初までしか作れてません。(白百合航空隊のストーリーでいえばまったくの導入部分です。)

昭和16年 昭和17年 昭和18年 昭和19年 昭和20年 昭和21年 昭和22年





昭和16年

5月

陸海軍共同参加の研究機関「橘機関(責任者:橘 雄之助陸軍中佐)」、来るべき米英との全面戦争突入時の不足戦力の補充として、後方非戦闘部門への婦女子登用を提言した「非常時における婦女子の戦力補充要綱」(女子という2文字を1文字にし通称、「マル好計画」とよばれた)をまとめる。
この中には女子による航空機操縦者養成(主に物資輸送と、本土近海の哨戒などを担当)を目的とした「女子航空学校」開設も提起されていた。


11月

東条内閣、外交交渉不調の際には、対米英蘭戦開戦を決定。

軍司令部内部において、「マル好計画」概ね了承される。なお、この内容については極秘事項とされた。

海軍、「マル好計画」の了承を受け、海軍女子練習航空隊(航空学校)開設へ向け準備を開始。ただし、当時の海軍上層部は、女子による戦力補充にまったく期待をかけておらず、飛行隊司令官に、日中戦争勃発時から軍主流派による戦線拡大に反対し、退役した杉村修作海軍少将を選出、これを依頼するも、杉村少将はこれを固辞。



12月


日本海軍の機動部隊、ハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を奇襲攻撃。

日本海軍航空部隊の攻撃によりイギリス東洋艦隊の戦艦2隻撃沈(マレー沖海戦)。

海軍、杉村少将に再度飛行隊司令官の就任を要請。杉村少将、自分が辞退の際の後任が主戦論者であった坂口大樹海軍少将であることを知り、条件付きで司令官就任を了承。その条件とは、航空隊ではなく飛行学校を開設することであった。軍部もこれを了承し、杉村少将の肩書きは飛行学校長となる。




昭和17年


1月


日本軍、フィリピンの首都マニラ占領。

日本軍、マレーの首都クアラルンプール占領。

日本軍、ラバウル占領。


2月

日本陸軍、落下傘部隊パレンバンに降下、製油所を無傷で占領。

日本軍、イギリスの東南アジアの拠点シンガポールを占領


4月

米機動部隊から発進したドーリットル隊のB−25爆撃機が日本本土を初空襲。

杉村校長、茨城県の海軍霞ケ浦航空隊の外れに校舎の建築を開始。


5月

珊瑚海海戦。日本海軍、一応の勝利を得るも多くの熟練パイロットを失う。
後の、白百合航空隊教官 戸倉 幸正海軍少尉は、同海戦で被弾し負傷。


6月

日本海軍、ミッドウェイ海戦で主力空母4隻と多数のベテランパイロットを失う。


8月

ガダルカナルに上陸した日本陸軍部隊(一木支隊)全滅。その後、日本軍は大量の部隊をガダルカナルに投入し、およそ半年にわたりマラリアと飢えとアメリカ軍との死闘を繰り広げることとなる。(米軍の反撃開始)

ラバウルの高木 賢二海軍少尉(後の、白百合航空隊教官)、同月末までに撃墜総数、10機をかぞえる。(自称「ラバウルの銀狼」)


10月

杉村校長、全国の女子高等専門学校などに対し、何かに(内容は何でも良いと示されていた)優れた能力を持つ生徒の選抜を依頼。また、軍に対しては、開校に当たり必要な教官等の人員を名指しで要求。その要求書に書かれていたのは、ほとんどが現部隊でトラブルを起こしている問題兵ばかりであった。



12月

珊瑚海海戦で負傷した戸倉少尉飛行学校に着任。(12月末時点で杉村校長の要求していた人員の7割がそろう。)
また、全国の女学校からの推薦者7504人の中から1次選抜、553人を選出。




昭和18年

1月

学校側より、一次選抜を通過した候補生に個別で飛行学校開設の事実と、入校希望の確認が行われる。
候補生の一人である県立第3高女4年の松山 奈美穂(当物語の主人公)喜んで入校を希望。


2月

日本軍、ガダルカナルより撤退。(このころから戦局は、日ごとに悪化して行く)

入校を希望した候補生、498人を対象に、能力、技能試験が行われる。試験は、1人1人個別に極秘裏に行われたた。


3月

松山 奈美穂、飛行学校より合格の電報を受ける。当初母親は反対するが、これを説得。また、親友の岡本祥子も試験を受け合格していたことをはじめて知る。(第1話)

松山、岡本の両候補生と、もう一人の親友 石田 京子、県立第3高女を卒業。
卒業の3日後、石田 京子は、かねてからの許婚と結婚。同日、松山、岡本の両候補生は、京子の花嫁姿を見届けた後、霞ケ浦に向けて出発。(第1話)


4月

ソロモン・ニューギニア方面で大規模な航空作戦「い」号作戦が発令される。このころまでに、高木少尉の戦績は、敵機撃墜数15機を超え名実ともに「エースパイロット」となっていた。しかし、当の高木少尉は連日の無謀な作戦を非難し上官との衝突を繰り返すようになる。

連合艦隊司令長官 山本 五十六の乗る1式陸上攻撃機、ブイン上空で敵機に撃墜され、山本長官戦死。


松山 奈美穂、海軍女子飛行学校に入学(第一期入学者30名)。約3ヶ月間は、候補生がパイロットとして適正であるか否かを学校側が判断する最終選抜の期間。

いきなり初日の身体検査、健康診断で、全裸になるように言い渡された、奈美穂をはじめとする一部生徒は大騒ぎ。
結局、校医(日本赤十字から配属された軍属)が女性であることがわかり、ひとまず騒ぎはおさまるが、軍には入っても乙女であることを守ろうとする、奈美穂たち一派と、戦いのため、国のため、乙女であることを捨てようとする、村上啓子たち一派とにいきなり分裂、以後対立はパイロットの養成方針が輸送機中心から戦闘機中心へと変更される、昭和19年春までつづく。(第2話)


5月

アリューシャン列島アッツ島の日本軍守備隊玉砕。



7月

日本軍、アリューシャン列島キスカ島より撤退


9月

大本営、絶対国防圏を設定、太平洋戦線の縮小と主要拠点の防御を図る。

奈美穂たち飛行学校一期生、一般基礎課程を修了。

海軍女子飛行学校第2期生43名入学。


10月


一期生、初期飛行訓練に入る。
奈美穂、初めて空を飛ぶ。(第3話)


11月

南太平洋ギルバート諸島の、マキン、タワラの日本軍守備隊、圧倒的戦力差をもって上陸してきた米軍に対し、必死の抵抗の末、玉砕。


「ろ」号作戦発動(海軍ラバウル航空隊の実質的な最後の航空作戦)。
しかし結果は、圧倒的な物量を誇る米軍機を前に、味方機は次々と撃墜され参加航空機の約70%、パイロットの約50%を失い、作戦は終了。めぼしい戦果はなかった。
陸海軍共、この時期になると深刻な、パイロット不足にみまわれていた。
高木少尉の戦績、撃墜総数28機。


12月

飛行学校一期生の飛行訓練における第一次中間報告が提出される。女子生徒の飛行技能はかなり高く、このため予定を3ヶ月早め、来年度2月から単独飛行訓練を行うとされていた。

年末、松山、岡本をはじめとする飛行学校生徒は、各自ふるさとへ帰省。
二人は、親友の上里(旧姓 石田) 京子を訪問するが、嫁ぎ先の家では京子への面会を拒絶。二人が京子とのつかの間の再開を果たすのは、明けて翌年、学校へ戻る汽車の車窓から、二人を見送る京子の姿を見たわずか1分足らずの時間であった。(結局、これが岡本祥子と石田京子との永遠の別れとなる。)(第3話)



昭和19年

1月

米軍、南太平洋マーシャル諸島へ襲来。2月上旬までに同地区を完全制圧。(日本軍守備隊は軒並み玉砕して果てる。)


2月

日本海軍、一大航空基地であったラバウルを放棄。ほとんどの航空部隊を撤収する。
高木少尉もマリアナ諸島テニアン基地(後に、B−29の発進基地となる)へと後退。

日本海軍の南太平洋での最重要拠点トラック島に、米機動部隊の艦載機が来襲。トラックは根拠地としての機能をほぼ失い。連合艦隊の南太平洋での主要拠点はパラオへと移る。

飛行学校一期生、単独飛行訓練を開始。


3月

山本長官の後任だった古賀連合艦隊司令官、パラオ方面にて行方不明となる。

テニアン基地の高木少尉、中尉に昇進。同時に女子飛行学校への転属命令が下される。高木中尉しぶしぶこれを了承。

高木中尉、霞ケ浦の女子飛行学校へ着任。第1班の飛行教官を担当。女子航空隊の1日の飛行時間約1時間。

4月